「―――おや、マスタング大佐」
彼の登場がエドワードの運命の輪を急速に回すことになる・・・
庭園を散歩しようか、と誘いかけていたロイの言葉を遮った人物。
それはハクロ少将だった。
傍らには金髪銀目のハガネコの少年。
どこか冷たい雰囲気で、興味なさそうに後ろに控えている。
ロイは軽く目を見張った。
ハクロ少将がハガネコを飼っているとは知らなかったし、この会場にいるとも気がついていなかったのだ。
「ハクロ少将。将軍も・・」
ハガネコを?と言いかけたロイは、エドワードの不審な様子に気づき、言葉を止めた。
エドワードは唇を一文字にキュッと結び、目はまるで親の仇のように睨み付けている。
「・・エドワード・・?」
軽く肩に触れると、はっとエドワードが見上げてくる。
その口からは上手く言葉が流れないようで、あいかわらず閉じたまま。
そんなエドワードの様子に、ハクロも微かに何かを刺激されたようで、
あることを思い出し、ハッと鼻で笑った。
「なるほど・・最近マスタング大佐が猫に夢中だと聞いてはいたが。あろうことか、その猫の飼い主だとはね・・」
「―――将軍?・・・エドワード?」
エドワードをご存知なのですか?
不穏な空気を感じながら問いかけると、「知らないのかね?」とハクロは小馬鹿にした笑みを一層強めた。
「知っているも何も・・えらい目にあったものだよ、その猫には。一ヶ月は傷が癒えずに仕事にも支障が出たほどだ」
―――知らなかったのかね?
―――私がこの猫を引き取った初めの客だ。
ハクロが吐き捨てるように答えた。
ペットショップに並べられたエドワードを。
初めに気に入って買い取った男は。
なかなか懐かないエドワードに苛立ち。
首輪をつけ主人だと認めさせようとし。
それでも頑なに拒んだエドワードを。
殴る・蹴る・叩くの暴行を加え。
抵抗したエドワードがその右腕の爪でザクリと引っ掻き。
とうとうペットショップに返品した。
その男が目の前にいる。
カッと胃の中に熱いものがたまる。
―――目の前にいるのはエドワードを傷つけた男だ。
どれだけ彼女が怯え、人を信じられなかったのか、ロイは知っている。
周囲の人間の助けもあり、今では普通に生活しているエドワードだけれど・・
「―――少将、が・・・?」
ギュッと拳を作った手を振り上げるわけにはいかない。
ロイは何とか指を緩め、開いた。
・・・仮にも上司に当たる人間だ。
ここは怒りを抑えなければ、と思うロイ。
しかし大切な大切なエドワードを傷つけた人間が目の前にいるのだ。ここに!
とても耐えられることではない―――怒りで視界は真っ赤に染まる。
そしてエドワードにはものすごいプレッシャーがかかっていた。
かつて自分に暴行を加えた人間がいるのだ。
もう、何もしないとは思う。ロイがいる。今は。ロイが。
それでも緊張し、汗はだらだらと毀れた。
あの痛みを。エドワードはまだ忘れてはいない。
そしてハクロはあいかわらずの薄ら笑いで、もう自分のした行いは忘れたかのように、
「まったくとんだじゃじゃ馬だった。確かに金髪金目は珍しいが、よく買う気になったものだよ、マスタング君?」
と、口からはエドワードをけなす言葉。
ハクロからすればエドワードの容姿はえらく気に入っていたにも関わらず、
自分のものにはできなかったことへの恨みと、それを易々と成し遂げたロイへのやっかみが含まれている。
もともとハクロからすればロイは目の下のたんこぶ。
いつ自分の地位を脅かすともしれない男なのだから、嫌味も盛大になる。
・・・しかしそれはハクロの言い分。
ロイにもエドワードにも受け入れられないものだ。
ハクロはそんなこととは気づきもしないらしく、ニヤリと笑うとわざとらしくエドワードへ視線を向け、
「どうだね、人間に頭を垂れる気分は?そもそもお前は・・・」
「―――将軍」
ハクロの言葉を遮り、ロイはかばうようにエドワードを背に隠す。
これ以上この男の言葉を聞いていたくはなかった。
こんな男の言葉でエドワードを汚したくなかった。
冷静にならなくては、と思う反面、ロイの中では「なぜ黙っていなければいけないのだ?」と
怒りがふつふつと湧いてきた。
今はまだこの男の方が地位が上かもしれない。
だからといってなぜ自分が我慢しなければいけないのか。
「・・・将軍。エドワードの飼い主は私です。
エドワードへの言葉は私への言葉だと・・理解していらっしゃいますね?」
エドワードを侮辱することは許さない。
明確な意志を持ち、ロイが言い放つ。
サッと顔を赤黒くしたハクロに背を向け、ロイはエドワードの手をとり踵を返した。
さっさと会場を出て入ればよかったのだ・・・こんな男に会う前に!
しかし去りかけた2人を嘲笑う言葉が、プライドを傷つけられた男から叫ばれる。
「―――私は知っているんだぞ!その猫が咎人だと!
咎人の分際で伴侶を探そうとは片腹痛い!!」
叫び声に似た金切り声。
そして「咎人」の言葉に会場は一瞬不気味に静まり返る。
「咎人」とはつまり、誇り高いハガネコがプライドを捨て、主人以外の人間に頭を垂れた、その証明に他ならない―――
ハクロのそばに控えていたハガネコの少年が「言いすぎだ」と主人をたしなめ、
「どうしたんですか?」とアルフォンスが周囲の人に困惑気味に尋ね、
エドワードはただただロイの手を強く強く握り締め、
「―――黙れ」
水を打ったような静けさの中、ロイが放った言葉は誰よりもエドワードの心にまっすぐ響く。
「何も知らない人間がエドワードを侮辱することは許さない」
ロイはそれだけ告げると、後は何も言わずにエドワードの手を引き、会場を後にした。
そしてエドワードの心の大半はハクロに投げつけられた言葉で血を吐くような悲鳴を上げていたけれど・・・
なぜか少しだけ、ぽわりと温かかった。
走るロイに手を引かれて、エドワードは心臓が飛び出そうなほどドクンドクンと高鳴っていて、
それを信じられない気持ちで感じていた。
はぁはぁと口からは呼吸荒く息が毀れるけれど、このドクンドクンは走っているせいではない。
―――エドワードは嬉しかったのだ。
ロイが反論してくれたこと、エドワードのために怒ってくれたこと、そして自分を理解してくれていること・・・
人は人を完全には理解できない。
それは人が同一の存在ではなく、「他の人」だから。
それはハガネコも同じ・・ハガネコの伴侶同士ですら、相手を理解しきることはできない。
けれど、ロイはエドワードの気持ちをわかろうとしてくれた。
そしてあの男が上官にも関わらず、声を荒げてくれた・・・
エドワードはこの瞬間、今まで胸の中でくすぶっていた、その感情の名前を知った。
自分がハガネコであること、ロイが人であること―――
―――それすら超えられる、その想いの名前を―――知った。
―――やはりロイは「その人」なのだ。
エドワードは自分の考えを強めていた。
ロイはきっとエドワードに最上の幸せを与えてくれる・・・
―――たとえエドワードが死ぬことになろうとも。
―――たとえハガネコが滅ぶとしても―――