熱のない手足 頭が真っ白になっていく。 ゆっくりと白いキャンパスに文字が埋められていくーーー『違う』と。 ・・・これは一体何の罰なのだろう。 オレがミュンヘンに来てから丸一日。 落ち着いてきたオレは、ようやく親父の話を聞けるようになった。 『エドワード』はあの日、墜落した飛行機事故で手足を失った。 その後、義手と義足をつけ、現在はリハビリ中だとか。 オレには『エドワード』の記憶が断片的にある。 ただしそれは、意識して思い出そうとしてもかなわずーーー たとえば、ふと机を見ていて、「この机ももう4年も使ってるよな」と『思い出す』次第だ。 ーーー苦しい。 多分、『エドワード』はもういない。 いいや、オレの中にいるのかーーー それすら、わからない。 オレがこちらの世界に来たから、だから『エドワード』が引っ込んでいるのか。 それとも、もう完全に消えてしまったのか。 『エドワード』はここで親父と暮らしていた。 母親は数年前に亡くなっている。 弟はーーーいない。 驚いたことに、弟はいなかった。 少しだけ、期待していたーーーこちらの世界の『アルフォンス』を。 けれど、『エドワード』が事故で手足を失ったように、 何から何まで向こうの世界と同じわけではない、らしい。 大きな点では、こちらの世界では『科学』という、錬金術とは異なる物が発達したこと。 そして再び驚いたことに『エドワード』は政府のある研究機関で助手の仕事をしているらしい。 まだ学習期間のはずだろう、とオレが親父に尋ねると、「君はこちらでも優秀なんだよ」と返された。 錬金術の世界で、オレが国家錬金術師というある種、特権階級にいたように、 こちらの世界では『エドワード』も秀でた存在だったようだ。 読んでみるかい、と差し出された本ーーーわけのわからない記号が乱立している。 けれど、唐突に理解できた。 『エドワード』の部分が、理解している。 それは、新鮮な驚きだった。 こちらの世界でも、やっていけるかもしれない。 そう思った瞬間だった。 義手義足のリハビリはうまく進まない。 どうせなら向こうの世界と同じように、機械鎧のような技術も発達すればよかったのに。 ぼやきながら、オレは歩行訓練を繰り返す。 自由に歩けるようにならなければ。 すぐに、自分で立って歩くようにならなければ。 しかし、神経の通っていない足と手。 機械鎧以上に苦労しそうだった。 悪態とつくエドワード。 その耳に、ノックの音が届く。 「入れよ」 横柄に答えるーーーどうせ、親父だ。 そして当たり前のことだが、親父が入ってきた。 ただし、変な汗をかいて。 「まずいことになった・・・!」 バタンとドアを閉めると、手すりにつかまって歩いていたオレを乱暴にベッドに横たわらせる。 「親父?どうかしたのか?」 「どうもこうも・・・っ」 よっぽど慌てていたのか、帽子もかぶったままだ。 指摘すると「それどころではない」と無意味に手をバタバタ振る。 「何だよ?わけわかんねーな」 「−−−面会だ」 「は?」 君に面会だ、客だ、と親父が早口で答える。 親父の慌てようもわかるーーーオレには『エドワード』の記憶なんてたいしてない。 『エドワード』は事故に遭い、義手義足になった。 当然、面会に来る友人の一人や二人、いるだろうーーー ただし、それは『エドワード』の友人。 オレの友人ではないのだから、そいつのことは何もわからない。 会ったら思い出すかもしれない。 けれど、そんなに都合の良いこともないだろうーーー 「・・・まずいじゃん」 「ああ、まずいとも・・・!しかも、相手が・・・」 カタリ。 慌てる親子をあざ笑うように物音。 さっと親父が部屋を出て、そして争う声。 ボソボソ声は次第に大きく、近くなっていくーーー どうやら、親父は押されているみたいだ。 ダメジャン、と冷や汗をかき、オレはシーツを握り締める。 寝たふりをしようか。いいや、起こされるだろう。 そのうちに、話している内容が、うっすらと聞き取れるようになる・・・ 「・・・だから、・・・だから、悪いが、帰ってくれないか!」 「ですから、・・・ですし。昨日も同じことを・・・」 「娘は寝ているから、・・・だから」 「ですから、私も・・・」 ーーーーよく知っている、声が、するーーーーー オレは呆然と聞くだけーーーー タンタンと足音が近づいてくる。 心臓がドキンドキンと音を立てる。 「−−−む、娘は着替え中だっ!」 「今更でしょうーーー私と彼女の仲ですし、問題ないでしょう? そろそろお父様にも認めていただきたい」 「だ、誰がお父様だねっ?!」 カチャリとドアが開いて。 予想していた人物が、立っている。 黒髪黒目の。余裕な笑みを浮かべた、20代後半の。 オレは目を離すこともできなかったーーー 「やあ、エディ。一日ぶりだね、会いたかったよ」 上半身を起こしたオレに与えられる、優しい抱擁。 切なくて、胸が痛くなるーーー あっちの世界で最後に言葉を交わしたのは、たった数日前のことだ。 それなのに、まるで何年も会っていないかのようだ。 もう、会えないと思っていた。 それが、会えた。嬉しいーーー けれど。 次の瞬間、オレは冷水をかけられたように、理解する。 『違う』と。 違うのだ、違う、と。 こいつはオレの知っているあいつではない。 よく似ている、確かにあいつだろう、けれど、違う! 違わないけれど、違う。 オレが『エドワード』ではないように。 こいつも、−−−− そいつの名前は『ロイ・マスタング』。 『エドワード』の恋人ーーーー← →